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薩摩切子

Gems of Satsuma

鹿児島の逸品

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鹿児島の逸品

Kagoshima and Diplomatic History

鹿児島と
外交の歴史

万博のイラスト

幕府との関係と独自の動き

江戸時代、薩摩藩は外様大名でありながら、琉球王国を介した貿易や独自の政策を進め、幕府とは一定の距離を保ちつつも関係を維持していました。1867年のパリ万国博覧会では、江戸幕府が日本として統一的な出品を計画したものの、薩摩藩はこれに同意せず、「薩摩琉球国太守政府」として独自の展示と使節団を派遣しました。また、独自の「薩摩琉球国勲章」を作成しフランスの高官に授与するなど、幕府とは独立した国家のような振る舞いを見せ、この行動は幕府の抗議を受けましたが聞き入れられず、当時の幕末の政争を象徴する出来事となりました。

首里城

琉球王国との関係と貿易

薩摩藩は1609年(慶長14年)の琉球侵攻により琉球王国を支配下に置き、独自の貿易ルートを確立していました。琉球を窓口として中国との貿易を行い、藩内の産品や蝦夷地の昆布を輸出し、その対価で唐物を輸入するなど莫大な利益を得ていました。琉球は薩摩藩によって管理されていましたが、実際には大幅な自治権を行使していました。

人物画

西洋との接触

1840年、清国でアヘン戦争が勃発。薩摩藩主 島津斉彬はこの知らせをいち早く入手し、欧州列強の植民地政策に対抗すべく「富国強兵」「殖産興業」を掲げ、集成館事業を興しました。1863年、生麦事件を発端とする薩英戦争が勃発し、斉彬の予知していた通り、薩摩にイギリスが攻めてきます。この後、国主 島津久光は欧州の優れた産業力に学ぶべく、薩摩藩英国留学生を派遣し近代国家樹立の礎を築きました。1865年、この留学生たちを世話したシャルル・ド・モンブラン伯爵は、留学生達のリーダーの五代友厚らに貿易商社を設立させ、この2年後に開催されたパリ万博において「薩摩琉球国」として出展するに至ります。

石像

明治維新と新たな外交の担い手

薩摩藩は長州藩と共に倒幕運動の中心となり、明治維新を主導しました。薩英戦争を経て倒幕派が藩の主導権を握り、長州藩と薩長同盟を結んで明治維新の原動力となりました。明治新政府には、西郷隆盛や大久保利通、黒田清隆、松方正義、森有礼ら有力な人材を多数輩出し、新政府の中軸となり、日本の新たな外交政策を担うこととなりました。

Specialty of Satsuma

鹿児島の特産品・
工芸品

鹿児島の名産品には、伝統的な工芸品から食品まで幅広いラインナップがあります。歴史と深く結びついており、私たちはその価値と魅力を多くの方々に伝えていきたいと考えています。

薩摩錫器

薩摩錫器

鹿児島県で300年以上続く錫鉱山を背景に生まれた薩摩錫器は、職人の高度な技術と美しい光沢が特徴の伝統工芸品です。酒器や茶器、花瓶など現代の生活に合う商品開発も行われ、その重厚感と輝きは贈り物や記念品としても長く愛されています。職人の手仕事による温かみと、伝統に裏打ちされた風格が魅力です。

薩摩焼酎

薩摩焼酎

サツマイモの生産量日本一を誇る鹿児島は、日本屈指の焼酎の産地です。100軒以上の焼酎蔵からさまざまな銘柄が生まれており、製造過程や歴史を見学できる所もあります。独特の風味が特徴です。

鹿児島茶

鹿児島茶

全国第2位の生産量を誇り、温暖な気候を活かした日本一早い新茶の生産地としても有名です。一番茶から秋冬番茶まで幅広く生産しています。艶のある濃い緑色で、さわやかな香りとコクが特徴です。

薩摩切子

薩摩切子

江戸時代末期に薩摩藩で生まれたガラス工芸です。透明なガラスに色ガラスを重ね、カットすることで美しい文様を浮かび上がらせます。特に、光の加減によって色合いが変化する「ぼかし」の技法は薩摩切子ならではの特徴です。繊細で華やかな輝きは、人々を魅了し続けています。

黒酢

黒酢

鹿児島県には多くの黒酢醸造所があり、天日でじっくりと熟成されたかめ壺仕込みという伝統的な製法で作られています。普通の米酢に比べ、芳醇で深みのある香りとまろやかなコクが特徴です。絶妙な酸味と自然な甘味のバランスは、料理の味を一段と引き立てます。

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在日フランス商工会議所

株式会社SHIMADZUは、特産品・工芸品の輸出事業に開始と合わせて在日フランス商工会議所へ加入しました。

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