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加治木島津家

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加治木島津家

尚古集成館蔵

加治木島津家の系譜

加治木島津家は、名門・島津氏の一家として江戸時代に薩摩藩の一門家として大隅加治木を領しました。加治木島津家は初代・島津忠朗公を祖としその歴史は寛永8年(1631年)に始まります。

島津家久公の三男・忠朗公が祖父・島津義弘公の遺領である大隅国姶良郡加治木1万石を与えられたことが、加治木島津家の始まりです。その後、領地は1万1800石となり、元文3年(1738年)には島津一門に列しました。幕末維新期には当主・島津久宝公が戊辰戦争で功を挙げ、明治維新後には華族の男爵家に列せられました。

この地、加治木は島津家第17代当主とされる島津義弘公が晩年を過ごされた地でもあり、現在では義弘公を祀る精矛神社があります。現代においても、薩摩琵琶弾奏家であり精矛神社宮司である島津義秀が、加治木島津家の当主を担っております。

海辺の写真

Chronological table

加治木島津家 年表

西暦

加治木島津家

日本の歴史

1600 - 1650年

寛永8年(1631年):島津家久公の三男・島津忠朗公が、祖父・島津義弘公の遺領である大隅国姶良郡加治木に1万石を与えられ、加治木島津家が創設される。

島津義弘公が加治木で晩年を過ごす。義弘を祀る精矛神社が存在する。

慶長5年(1600年):関ヶ原の戦い
慶長8年(1603年):江戸幕府が開府
寛永年間(1624年-1644年):鎖国が進む

1651年 - 1700年

領地が1万1800石となる(時期不明)

江戸幕府による支配体制が確立される

1701年 - 1750年

元文3年(1738年):島津一門に列する

享保の改革が行われる(1716年-1745年)

1751年 - 1800年

田沼意次の政治(1772年-1786年)
寛政の改革(1787年-1793年)

1801年 - 1850年

化政文化が栄える
天保の改革(1841年-1843年)

1851年 - 1900年

幕末維新期:当主・島津久宝公が戊辰戦争で功を挙げる
明治維新後:華族の男爵に列せられる

幕末の動乱期(黒船来航、安政の大獄、薩長同盟など)
慶応4年/明治元年(1868年):戊辰戦争、明治維新
明治2年(1869年):版籍奉還
明治4年(1871年):廃藩置県
明治17年(1884年):華族令施行、加治木島津家も男爵となる

1901年 - 1950年

日露戦争(1904年-1905年)
第一次世界大戦(1914年-1918年)
昭和時代に入る
第二次世界大戦(1939年-1945年)
華族制度が廃止される(1947年)

1951年 - 2000年

平成5年(1993年):島津義秀が精矛神社宮司に就任
平成12年(2000年):青少年育成施設「青雲舎」を復興

高度経済成長期
昭和から平成へ

2001年 - 現在

平成13年(2001年):島津義秀が島津興業を退社し鹿児島神宮で修行
平成15年(2003年):島津義秀が独立。現在は精矛神社宮司、島津義弘公奉賛会理事長など多岐にわたり活動

平成から令和へ

山の写真